今日は1月6日(金)です。カガセイフン物語第2章です。

おはようございます。

今日はもう6日です。新年も早1週間が終わってしまいますね。
明日は七草で、あさっては福井では成人式が執り行われます。
絶え間なく、時間を無駄にしないように生きていますが、
日々思いが変わり、自分の感情を保つことが難しい時があります。
こんな時は一人になることが私には大切で、
明日ちょっとでかけてこようと考えています。
さて、カガセイフン物語の続きです。
この工場兼自宅前の道路は勝山街道と呼ばれ、
永平寺、勝山からやがては白山に通じる道で
昭和40年代に入ると自動車の通行量が増えて
営業用のトラックの出入りが難しくなってきました。
そのため、先代4代の健治は近くに土地を求め、
昭和45年12月、鉄骨一部二階建ての工場を新築し移転しました。
翌昭和46年6月、末吉製粉所 加賀商店を法人にして、
有限会社 末吉製粉所と組織変更をしました。
父母はがんばってくれて、私ども姉妹はそれぞれ進学させてもらい、
私は2年の約束で昭和48年に県外の短大へ進学しました。
その年の11月、父が新そばを運送会社の社員さんといっしょに
倉庫へ積み上げていた時に、足を滑らせて床に落ち、
右足首を複雑骨折してしまいました。
年末の繁忙期を前に起きた事故でしたが、
連絡を受けて私は身が震える思いがしました。
短大を休学し、福井に帰って家の仕事を始めました。
運転免許は夏休みに取得していましたが、今みたいにナビはないので、
得意先の住所を書き出しての慣れない運転では時間がかかること。
それでもお得意様からは「がんばんねの」と声をかけていただき
とても励まされました。
無我夢中の1ヵ月半を過ごし、父が退院してきましたが、
もうこの商売からは離れられないんだなと思いました。
残りの短大生活をしっかり楽しんで過ごしました。
卒業してからのお話は…続きにします。
電話が鳴り始めましたので。