投稿者「fumiyo」のアーカイブ

工事の始まり 昨日に引き続き暑い日です

こんにちは。

今日は16日(木)、世の中ではあさってから3連休ですね。だからってどこへも行けませんし、家族でお墓参りに行こうかなといった感じでしょうか。そこをまた温帯低気圧に変わった台風が襲ってきます。今年は人も農作物も天候に恵まれません。残念ながら。

第3期工事になりますか、今日弊社の看板が撤去されました。

平成3年11月から始まった現工場の新築工事の仕上げ段階で設置されたこの看板は、主人(現会長)と私にとって毎日見続けた大事なものです。ここへ通い続けて30年、その間にも変遷があり、思い出深い看板ですね。

最初ここに書かれていた社名は「有限会社 末吉製粉所」でした。私の父が昭和46年に法人組織にした時につけた社名をそのままに、看板に記しました。ただ、そば粉の紙袋の住所は元のままで、ゴム印を押して現住所を表していました。

その翌年に紙袋の在庫が少なくなり、袋を新たにすることになり、そこでデザインも一新しようと各方面に知恵をお借りしつつ、現在も使用している石臼とのし棒と包丁のものに決め、住所も替えました。この時社名もちょっと変えたのです。

「有限会社 末吉製粉」として平成5年に新しい気持ちでスタートしました。なぜ「所」をとったのかは紆余曲折がありまして、説明がしにくいのですが、一因はお客様からのひと言もありました。「電話に出るときに何故ちゃんと社名を言わないの」とお叱りを受けました。若気の至りでしょうか、「すえよしせいふんしょ」って言いにくかったんですよ。そんなこともあり、看板からこの一字が外されまして、1度目のお色直しとなりました。

それから16年が経ちまして、末吉さんから私の祖父が商売一式、機械、石臼もろとも譲り受け、末吉製粉所を加賀家で営業するようになってから70年の年月が過ぎたことを契機に、もう自分の名前で商売しても不義理にはならないだろうと考え、加賀製粉の出発を決めました。

その当時はもう簡単に「株式会社」組織に出来る時代になっていましたので、組織変更と社名変更を同時に進めていました。

その最中に関東在住の知り合いから、「加賀」というと石川県を思いだして、福井とは思わない。いっそ全部カタカナにしたら?これからは世界を見ていかないとというアドバイスを受けて、「株式会社 カガセイフン」とすることに決定しました。実際、カガセイフンになってから、「何故福井なのに加賀製粉?」と電話で聞かれたことがありました。私どもの姓が加賀なんですよとお答えすると「そうなの」といった感じです。

看板の文字替え、塗り替えをして2度目のお色直しでまた綺麗になりました。

それ以来早くも12年、最近の暴風雨や豪雪のためでしょうか、本当に傷んできました。そろそろ寿命でもあるでしょう。綺麗になくなってしまいました。

会長の一言がすべてですが…。

「さみしいな」

私も同じ気持ちです。でも近いうちに設置してもらえる新しい看板で、役員社員一同心機一転頑張っていきましょう。建物の工事もやがて再開です。

9月15日 昔なら今日は敬老の日ですね

こんにちは。

今月に入ってから涼しい日になっていましたが、今日は暑い!

軽ワゴンで配達に出たら暑くて、喉が渇いてしまいました。どんな時でも飲み物は携帯しないとと肝に銘じました。年をとると動きが悪くなりますし、配達の途中に車を停めてコンビニへという気になれない時もあるので、持って出るのが一番ですね。

朝の集団登校の集合場所はマンションの玄関先なのですが、そこに似たような樹木が数本植えてあるのです。以前から何の木かなと気になっていたのですが、今月に入ってから1本に実がついてきました。ますます気になる…。

で、写真を撮って、ネットで調べてみようと思い立ち、早速パシャリとやってみました。

きれいに写ったのでどんな木かよくわかります。同じような樹でも違う所をみつけて調べてみました。実がなっていて、葉は緑色で艶があります。この実はその内開きそうな感じがします。

木斛(もっこく)という樹のようです。やがて赤い実になるようですよ。花言葉は「人情家」、良縁に恵まれますようにという願いを込めてついたらしいですよ。庭木に適しているというのはそういうことからもあるのでしょうか。

その隣の樹もよく似ているんですが、葉っぱの根元が赤くて実のない樹です。

こちらは「ひめゆずりは」という樹のようです。幹もよく似ていて一緒な樹のように見えました。どちらも青々とした葉が特徴で、赤い実と葉の根元の赤が朝日に綺麗に生えて、1日頑張ろうという気持ちになりますね。

子供たちにこの樹の話をしたら興味深そうにしていました。朝が少し楽しくなりそうです。

そう、もうすぐ私の好きな金木製の香りが漂ってくる頃です。楽しみに待っています。

今日の午後から、HACCPに関するwebセミナーをスタッフ一同で受講しました。食中毒菌の事や発生した場合やそれに関する罰則事項など細かく説明されて、今後の指標になります。

工場の改築・改装工事とともに、こういった決まり事も組み込んでいくことが大事とわかりました。一つ一つ資料を見ながら進めていこうと思います。年寄りも山の賑わいくらいの仕事はできるでしょうから。

また工事が再開します。いろいろよろしくお願いいたします。

 

9月 September 私の大好きな月です

9月です。福井市は8/27(金)から新学期が始まりました。

今年の4月から、小学校の集団登校時に同行する見守り隊に参加しています。孫二人と一緒に私の母校でもある学校まで約20分ほどを車に気をつけながら歩きます。

途中に大きな交差点があり、毎日公民館の館長さん達が「横断中」の旗をもって立ってくださいます。
私は子供たちと一緒に渡り、館長さんや待っていて下さる自動車のドライバーさんに「ありがとう」の会釈をして、あと半分くらいの距離を学校までついていきます。

他のグループと一緒になると、歩道を2列、3列で歩くようになり、結構密な感じです。車社会の福井では、これ以上歩道を広げるなんてことはできないでしょうし、時間差で登校するようにはなっていませんし、ちょっと考えてしまいます。


小学校前の車道は片側2車線で結構広いのですが、その分車の数がすごく多くて、その1車線が右折車線になるので、左車線はずっと渋滞状態。そして、ここの歩道は広くて歩きやすいのですが、自転車が通行します。
この歩道を狭めて、車道を広げるという計画があるようで、夏休み前に歩道の3/1ほどのところにロープを張り、その幅でも子供たちが歩けるかという実験をしていたようです。


いったい何が優先なのでしょうか?家から学校まで歩いてみたらわかりますよ。子供の足で20分近く毎日歩くところを車に譲ることができるかどうか。車であれば暑さ寒さも気にしなくていい。雨や雪や風も関係ない。でも子供たちは、重いランドセルや水筒や体操服入を担いで、車の横を通り、排気ガスや冷房の外気にあてられ続ける。学校へ着くまでに身体も心も疲れてしまいます。


何かもっと柔軟に、子供たちが安全に動けるような仕組みが作れないものかと考えます。一高齢者ができることではないでしょうが、せめてしばらくでも笑顔がみられる登校になればと思っています。

まだまだ受け入れてもらえませんが…。

昨日までの3日間は残暑が厳しくて、歩くのに帽子、日よけ手袋、タオルは必需品でしたが、今日は、丑三つ時から明け方にかけて雨が降っていたので朝が涼しく、見守りの歩きも楽でした。雨にもあわずに8時前に帰ってきて、家の後始末をして、会社に到着。

見守りも夏休みだったので、まだ少々疲れるのですが、子供と行動できることが楽しいなぁと思えて、これで、子供達から笑顔と挨拶をしてもらえるようになれば、もっと楽しくなるなと思うところ。

おいおいそうなればいいのですが。

8月30日月曜 八白大安 お久しぶりです。

前回ブログを書いた日からちょうど3年になります。
皆様お変わりなくお元気でお過ごしでしょうか?


私はこの期間に現役を引退し、少しだけ時間を持ちたいと思っていました。が、なかなか希望通りにはなりません。そんなものですよね。それでいいのかもしれませんし。ただ、健康状態は常に気にかけて生活していますね。身体は正直ですから大事に扱っていかないと動いてくれない年齢になっています。無理せずもうしばらく自由でいられるようメンテも忘れません。

さて、社長と常務の方針で、HPも様変わりして、販売する商品も増えてきています。時につけ読み込んでいますが、なかなか面白いので皆様もよくよくお読みください。

そうですね。会長と私が主に経営していたころとはいろんな意味で厳しくなってきている現在、若返りができたのはとてもありがたい状況だと思っています。

社長・常務はIT関連に特化し、営業体制を前へ前へ進めていってもらう。この二人のひらめきと推進力はすばらしいと感心するばかり。身内に甘いわけではなく、頭の柔軟さは何事にも勝ると常々思っているからですよ。

会長は工場内の機械・石臼のメンテや配達にもうしばらく頑張ってもらう。次を育てないといけないのですが、ここは今のところ手つかずな感じです。

専務の私が担ってきた経理と事務も次に渡していく作業を始めています。事務は、3年前に長女が入社し、以来事務部門を委譲してきたので、もう毎日の仕事は任せられます。
私は製造・配達をしながらの経理事務だったので、毎月の帳簿を仕上げるのが遅くなり、日々の仕事終わりや土曜の時間を使っていました。その為かなり追い立てられている時期もありましたね。まだ人的に不十分なのがこの経理部門。私の代わりができる人をと思っています。
真面目で几帳面な性格の人が最適だと思いますが、配達も製造も兼任できて、みんなの気持ちを和らげてくれるような人がいたら私も安心、こちらも頑張りましょう。

後二人のスタッフと一緒にコロナの悪影響を排除しながら、これからも美味しい、安心してお召し上がりいただけるそば粉を製造してまいります。

そして、9月に入り秋の気配が立ってくるころに工場の工事も再開されます。皆様にご不便をおかけしないよう気を配って営業いたします。よろしくお願い申し上げます。

しばらくぶりに書いてみましたが、どうまとめたらいいのか忘れているところもありますので、また時間を見て書いていこうかなと思います。
しばらく文字ばかりのものになりそうですが、お許しください。

8日31日(金) 平成30年も残すところ4か月になりました。

こんにちは。ご無沙汰しております。

今年に入って、ブログを書くことにも不都合なくらい視力が出なくなってまいりまして、3月の年度替わりを機にブログからも引退しようと思っていましたら、けっこうおもしろいことをこの年でも体験できまして、皆様にお聞きいただきたいと思うようになりました。

そういった訳で、おかみブログを再開いたしました。しばらくおつきあいいただけますと嬉しいです。よろしくお願いいたします。そばに関しますことは、どうぞ息子健太郎の社長ブログへお越しくださいませ。

4月は相変わらず左手のリハビリに通っていました。左手のけがで影響はないように思いますが、長年続けてきた茶道はできなくなりました。大事なお道具を傷つけたら、落として欠けや割れがでたらそれこそ一大事です。袱紗捌きもお茶碗のお湯を建水にあけることも、手が痛くてできなくなっていましたので、40数年楽しんでこられたことに感謝して、離れることにしました。

今は何をしようかなと考え中です。

一つできなくなると、他のことにも消極的になるのか、好きで聴いていた歌もきかなくなり、水泳や体操もできないこともあって休んでしまっていたり、休みといってどこへも出かけない時が増えてきていました。それを表向きにさせてくれたのが小旅行でした。

4月は名古屋へ行ってきました。久しぶりに味噌煮込みうどんが食べたくなり、名駅から歩いて中村区まで向かいましたよ。ウォーキングしているので足は丈夫なんだけどなぁ。

久しぶりの穴のない土鍋でいただく煮込みうどんは熱々で、うどんはさっくりとしていて、美味しかった。お漬物はおかわりできるし、ビールはことのほか美味しく感じられて満足満足。

そこからイケアの新店舗へ行ってみました。

福井は何にもないところです。このイケアもコストコもアウトレットモールもショッピングモールもありません。みんなどうして生活しているんでしょうねぇ。不思議な県ですよ。でもそのぶん地元の商店や会社ががんばっているんです。規模が小さい県でも頑張れるんですよ。

さて、入ってみるとすごい人人。名古屋にはこういったショップはあちこちにあるように思いますが、新しいお店には福井人同様興味津々でしょうか?

いつもあれば購入している手ぼうきをしっかり買いこんで帰りました。石臼の周りや機械の粉落としに重宝するので必需品です。しかも安い!ありがたい!

かわいい女の子がいました

その後、お得意様を訪ねましたが、時間が合わなくてお会いできずに戻りました。残念でしたがまたうかがう楽しみがあります。次回に期待です。

さて、5月は東京へ行ってきました。気持ちは後ろ向きになっていてもこれだけははずせません。

5月の大歌舞伎は「団菊祭」ですから。毎年恒例の歌舞伎座行きですから。演目は「弁天娘女男白波」。音羽屋さんのお家の芸です。名ゼリフ「知らざぁ言って聞かせやしょう」とはじまると背筋がゾクゾクします。たっぷり楽しんできました。

その時に本当に久しぶりにお得意様へ伺いました。六本木ヒルズ5Fにある霞町そば処ますだや様です。いつものように5階のエスカレーターを降りて、右に回って直進すると左に行くようになっているはずが、この時は何かが違う?何かな?と思ったら、何と!お店の入り口がない!というか反対から入るようになっているのです。入り口があったほうは工事中で塞がれてしまっていました。

恐る恐る入店してみると、店内は変わらずそのままだったので一安心しましたが、社長様のお話によると、今までの入り口方面は大改造中で、ちょっと高級な店舗が入るらしいが、この店は入り口まで逆にされてしまって大迷惑だとのこと。しばらくの間にこんなに変わるなんてことは福井ではなかなかありません。やはり東京ですね。

お蕎麦はいつも通りで、シャキッとツルッと美味しくいただきました。辛味おろし蕎麦は大好きです。ご馳走様でした。

 

次の日には、見納めになる築地市場と羽田空港国際線フロアを散策しました。今頃はどこに行っても同じですが、東京の台所、築地でさえもインバウンドの外国の人人で時々嫌になります。日本人はどこにいるんだろうと思うくらい占領されていますよね。疲れます。言葉だったり態度だったり居住まいだったりと。日本の良さだけはなくならないようにと願いますが。

羽田空港です。

築地本願寺様      初めてお参りさせていただきました。

以上ここまででいったんアップロードします。

写真を選んでここに載せるのもなかなかに目が疲れます。

次は海外研修旅行の道中をお話しします。

 

 

 

 

桜3月散歩道、大好きな3月です

皆様 お変わりなくお元気でいらっしゃいますか?

はや春のお彼岸もすぎ、年度末になってまいりました。

まだ新年のご挨拶も申し上げていなくて、心よりお詫び申し上げます。

では、改めまして、平成30年 今年も(株)カガセイフンをよろしくお願い申し上げます。

今年は、1月11日までは今までと変わりないお正月で、普通に生活していましたが、12日の夕方から今年初めての大雪に見舞われて、生活が一変してしまいました。子供のころから何度も何度も経験してきた雪国の生活が始まったのです。

まだ降り始めはそんなにひどくなるとは思わずにいましたが、13日の朝起きて外を見てみると、本当に一面の銀世界…なんてかわいいものじゃない。家がすっぽり雪に埋まってしまっています。

玄関前の雪かきから始まって、車を車庫から掘り出して、会社まで来てみると、会社の駐車場もすっぽりと雪に埋もれています。ちょうどお休みをいただいていた土曜日でしたが、会社に入り、ママさんダンプと呼ばれる両手で雪を運べる大きいスコップといっていいのか?を持ち出して、雪を敷地の隅まで運ぶ作業を続けました。でも、雪は降りやまず、30分ほどで切り上げて帰りました。

体がひどく冷えて、いつもとは違う寒さだと思いました。でも、少しでも雪をどけておくと月曜に出勤した時が楽なので、これで良しとしました。

この雪は10日ほどで融けたのですが、その週末から第2波の大寒波が襲ってきました。また雪に埋もれた生活。だいぶ雪が嫌になってきていました。この時積もった雪が消えないまま、2月の大雪に突入することになります。

2月5日、朝から雪が降りやみません。夕方にもそこそこの積雪がありましたが、まさか翌日から全然動けなくなるなんて思いもしませんでした。

6日朝、外を見てみるとここ数年でも見たことがないほどの雪。玄関前から雪かきを始め、カーポート前にとりかかろうと思いましたが、除雪車がよけていった塊の雪が重くて硬くて、とても車を出せるほどに除くことができません。その雪をよける場所もないくらいの雪の山があちこちにできていることもあり、この日は車を出すことをあきらめました。

でも会社には行かないといけないし、やっぱり要るよなぁと思い直し、塊を崩して雪山の上に積み上げて、車が出られるくらいに両横の雪の壁も崩して、何とか出られたのはもう10時もまわっていたかと思います。あちこちでスタックした車がある中、会社までたどり着いたのはいいけれど、今度は会社の駐車場に入れない。ふきっさらしのそこはすでに1M近く積雪があり、雪かきなどできる状況ではありませんでした。たとえ雪かきをしたくても、その間車を停めておくこともできないほどに周辺の道路も埋もれていて、この日の仕事はあきらめて自宅へ向かいました。

その帰り道もまたひどいことになっていて、渋滞の列についてからは数センチ動いたかと思うと停車、しばらく動かないの繰り返し、その間も雪は降り続いています。見る間に車の屋根に雪が積もり落ちてくる状態は本当に怖いと思いました。この時にニュースになった国道8号の渋滞も始まっていたのですよ。

10分ほどで帰れる家まで1時間以上かかってたどり着き、今度はこの車を入れるためにまたまた雪かきをして、走ってきた他車に待ってもらい、何度か切り替えしてどうにか納めました。ただただ疲れた~。この日は社長が歩いて会社へ行き、お客様の対応をしてもらえたけれど、翌日からの通勤のことを思うともう歩くしかないと覚悟をしました。

7日も降りやまない雪を見ながら、一路会社へ。普通に歩くのだと30分ほどで着きますが、車の列をぬっての雪道では思うように歩けず、やはり1時間近くかかりましたね。

電話応対、出荷ができない状況説明、雪かきしようにも積もりすぎてとても人力では手におえない苛立ち。配達のワゴン車の1台も掘り出せないので、歩くしか他ないなんてことが起きるとは思いもよりませんでした。そしてこれが翌日のトラブルにつながってしまうのです。

8日朝、ダウンコートにカッパズボンに完全防水の長靴と毛糸の帽子をかぶって、昨日と同じように歩いて会社へ向かいました。昨日と違っていたのは傘。雪の降りが昨日よりも激しく、帽子だけでは髪まで濡れてしまうようだったので、傘をさして歩いていたのです。

昨日と同じ道なのに、除雪車が通った後で雪はカチカチの圧雪に、表面はつるつる滑るのにその上に柔らかい新雪が積もって道の状態が分からなくなっていました。こういう道は本当に怖いんです。

一歩一歩足を置くように歩いていましたが、傘でバランスが崩れたのか思いがけず両足で滑ってしまいました。体を支えたのは左手だけ。手をついた瞬間「アッ!これやってしまったな!」と思いました。手首が動きません。しばらくすると指が腫れてきました。

とにかく会社に行かないと始まらないと、左手を支えながら歩き続け10分ぐらいで会社到着。痛みがひどくなってきていました。でも、会社に着いても車は埋もれたまま、近くのタクシー会社に聞いても、車はあるけれど運転手がいない、だれも来ていないとのこと。

いつも診てもらっている整形外科に電話をしてみたら、両院とも「本日は休診日です」。そうだった木曜日はお休みのお医者さんが多いんだと気がつき、もう選択肢は救急車しかないとなりました。電話をして待つこと30分、会社から県立病院まで20分ほどかかりましたが、救急で診てもらえることに。有難かったです。間違いなく「左手首骨折」でしたが、先生から頭を打たなくてよかったねと一言いただきました。基幹病院としてはたくさんの怪我人が来た日だったようですよ。

腕に添え木をするのも三角巾で腕をつるのも生まれて初めてのこと。1週間後に手術をすることになり、それからは娘に手助けしてもらいながら日を送りました。まあそうは言っても、仕事は放っておけないし、日々の生活は休むわけにいかないので、右手と口でいろいろやっていましたよ。

私がけがをした後、会長、社長、社員の男衆3人で軽ワゴンを1台掘り出して、配達に出られるようにして、それまで行けなかったところの配達を済ませたよう。私は家に帰って、主人に連絡を取りながら帰りを待っていました。夜10時ごろにようやく帰ってきて、金沢まで配達してきたといいます。佐川便もヤマト便も全く動かず、それでもそば粉のご注文はいただくので、北陸自動車道が開通したこともあり、金沢市内だけ回ってきたと。この怪我を本当に申し訳ないと思いました。

不注意ではないのだけど、年をとるということはこういうことなんだと自覚しました。リハビリも続けています。左の中指と薬指が上手く曲がりません。握力も弱いです。重いものも持てません。不都合を持ちながら仕事をしています。少しだけそれをカバーしてくれる人がいればと思いましたが、結局こういった人間は必要ないのだとわかってきました。

そろそろ引退を決めないといけない時でしょう。「老兵は去るのみ」いまわが社にいるスタッフはみなそう思っていると思います。年寄りががんばっていていい時代ではなくなっているとひしひしと感じます。30代の中に60代が二人だけいる訳ですが、たぶん皆が私達夫婦をどう扱うか考えあぐねているのでしょう。引き際を決めなくては。

長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。

今回でこのブログも終わりにしようと思います。

何の知識もなく、ただ40数年この商売を担いできただけのおばさんです。

ご迷惑もおかけしたと思いますが、お許しくださいませ。

今後は若い世代で会社を運営していきます。

若さは溢れていますが、経験というところではまだ未熟な者たちです。何分よろしくお引き立ていただきますよう心からお願い申し上げまして、最後のご挨拶とさせていただきます。

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

富山へ。

こんにちは。

会社のHPに付随しているブログなのに、こんな趣味的なものを題材にしてしまって、アップするのどうしようかと大分悩んだのですが、もうこんなことを書くこともないなと思い、ちょっと手直しをして、読んでいただこうと思いました。

実際は、前のものの前に文章を書いていますが、こう思うまで時間がかかり、はや4か月も経ってしまいました。また今回は全く写真がありません。

文章だけでお楽しみいただけますでしょうか。

 

母の具合がよくなかったころに、今まで聴いてきた角松敏生さんのライブの先行受付がFCで行われていました。もちろん申し込みなんてできません。

頭の片隅にはあったように思いますが、年を越して、母の35日法要が終わったら、ふと角松さんの申し込みできなかったなと思い出しました。

そこにメールで「先行予約受付中」とチケット何とかから入ってきたんです。

角松氏のはいつ行ったかしら?と考えると、昨年の3月にFCのイベントが名古屋でありまして、その時以来です。それも完全なライブではないので、本当にいつ以来なのか全く思い出せません。

行ってみようか久しぶりにと思い、富山の分を1枚だけ申し込みました。何の心配もなくすんなり買えました。席は前の出入口近くの壁際。1席空いてたかぁとわかるような場所です。私はこの人の歌さえ聴ければいいので、場所はどこでもかまいません。

6月18日(日)お昼を済ませてから福井を出て、インターから北陸自動車道に乗り、一路富山インターへ。1時間半ノンストップで運転して、会場近くの駐車場へ停めたのが、午後3時10分ごろでしたか。街の中心部の公共の会場で、車の出入りはとても多かったですね。日曜だというのに。

普段できないウインドウショッピングやカフェで時間をつぶし、5時に会場入り。

だいたい予定通りに始まってリズムよく進んでいきますが、今回のは、5月に発売された、リミックスのインストルメンタルのアルバムがメインのツアーだとご本人がおっしゃっていて、演奏される曲は知っているものばかりですが、新鮮な感じに聴いていました。

なかでも、「52ND  STREET」という曲は、その昔、福井の夜のニュースコーナーのテーマ曲だったんですよ。私がこの人を知って、当時はレコードですが、店を何軒も回ってもなかなか見つからない中を探して探して、何枚か手に入れた中の1枚だったこのLP「SEA IS A LADY」。針を落として聞いていると、聞いたことのある曲が流れてくるんです。それがこれでした。

この曲が流れてくると、そうだ!ニュースの時間と刷り込まれていたほどです。当時のTV局の音楽担当の方は素晴らしいと一人で感心していました。敏感な人がいらっしゃったんですよね。

1時間が過ぎ、ライブも中盤にさしかかろうかというころになると、私にちょっとした変化が出てきました。インストなので歌がない、角松氏の声が聴けない、面白くないという流れです。

そこに私はあまり好きではない20分の曲が入りました。「クワイヤ」といわれるゴスペルソングを歌う聖歌隊のことらしいですが、(詳しくないので間違っていたらごめんなさい)その人たちがバックステージに並んで歌い始めました。

もう何年前になるんだろう?同じ富山の小矢部のライブに行った時に、たぶん同じ人たちが並ばれていらっしゃったんだと思いますが、この曲を初めて聞いて、本当に退屈したことがあり、聴きたくないと思ってしまいました。周りのノリをよそ目に白けてしまってました。

そうなると、気になるのは終わる時刻のことばかりになってきました。もう2時間は過ぎていて、そろそろ一旦終わってからのアンコールになると思われる時間帯です。そのようにサッ!アンコールと浮き立った気持ちになったところが、「まだ本編は終わっていないよ」とのご本人のお言葉。

インストが続きました。

年はとりたくないと本心思いましたが、帰ろうと席を立ってしまいました。

この人のライブは長いんです。やりたいことをライブの時間の中に埋め込むのが難しいといつも言われていて、だいたい3時間を予定しないといけないので、行ける日は限られているんですが、富山は同じ北陸だし、車で行くし、日曜でも大丈夫と考えたのが甘かったんですね。

日曜は次の月曜のために夜の家事を早く済ませますので、この日も10時には福井に着きたいなぁと何となく思っていました。逆算すると、遅くても8時には出ないとそうはできません。それに終わってすぐに出たとして、この会場の人達が押し寄せたら、車はいつぐらいに出せるんだろうと思うと気が重くなって、早く帰りたいが答えでした。

ホールを出て、ロビーを抜けて、会場を出た時の解放感は何でしょう?

心の中はただ一言「帰ろう」それだけでした。

同じ富山の街でも、小矢部市と富山市では運転する心構えも違っていて、高速で1時間半にその前後で40分近くは見ないといけない富山は、還暦を過ぎた身にはちょっと遠いですね。小矢部だと金沢からすぐなので、それほど負担には思わないんですが。

とにかく、ファンとしてはあるまじき行動をしてしまったライブでした。

そろそろライブからの卒業の時期かもしれませんね。

この人が福井に来てくださることはないので、これが見納め、それでいいとも思います。

懐かしい歌も少しは聴けましたから。

アンコールの定番「Take you to the sky high」で紙飛行機を飛ばせなかったのは心残りですが、もうずいぶん聴いてきたので、これで良しとしましょう。

ながながとお付き合いいただきましてありがとうございました。

私の初夏のある日曜日の一コマでした。

 

SAMSUNG

これはずいぶん昔にあったFCのイベントでの写真です。後姿が角松氏です。ぶれているのがいいでしょう?

 

 

 

 

 

乳がんとはいったい?

こんにちは。

今日は8月14日月曜日です。

皆様はゆっくりと旧盆のお休みを楽しんでいらっしゃいますか?

私どもの会社は本日営業しております。なかなかきつい注文数ですが頑張ってますよ。

ところで、昨日新聞のお悔み欄に知り合いの奥様の名前を見つけ、本当にびっくりしました。

お元気だったんですよ。とっても。

まだ59歳。若い。

何があったのかわかりませんでしたが、弊社社長とも親しくしていただいていたので、お通夜には息子が参列して、今日はどうしてもお見送りしたくて、私がお葬式に列席してきました。

喪主のご主人のお話では、14年ほど前に乳がんが見つかり、治療を続けてきたと、10年が過ぎて、もう完治したんだろうと思っていたところに、再発して全身に転移していることが分かったとのこと。

とても辛い時期もあったと思うが、それでも元気に生活をしてきてくれた。が、この春からは、がん細胞が背骨などに巻きついてしまって、歩くことができなくなったと。

私の父も、膀胱がんから転移して、背骨や胃の周りに細胞が巻きついて、歩けない、食べられないといった状態でしたから、その様子は想像できます。

ご主人の支えで過ごしてこられたのでしょうか。

私がこの方を知ったころにはもうがんと闘っていらっしゃったんですよ。なのに、とても元気で明るくてその人柄から、〇〇姫と皆さんから呼ばれていた訳がよくわかります。こんな私にも「カガママ」といって親しく付き合って下さいました。ありがとうございます。もう仏様になってしまわれましたが、心穏やかにお過ごしくださいね。

でもこの「乳がん」というのはいったい何者なのでしょうね。

多くの女性の命を簡単に奪っていく。

6月に亡くなられた小林痲央さんの記憶が褪せない間に、またこの病気で亡くなっていく人がいる。女性なら誰でもなりうる、誰の身に降りかかっても不思議ではない病。

早期発見、早期治療が重要といわれて毎年検診に行ってますが、実際そういう診断を受けると、どんな気持ちになるのか、本当に辛い、怖いことでしょうね。

私はご近所の奥様達と、毎年新年会と温泉行きの会を続けています。私がこの会に入れていただいたのが30年ぐらい前でしょうか。その間にメンバーの出入りはありましたが、総勢15名で今もいろんなお店や温泉に行って楽しんでいます。

その中でも二人の方がこの乳がんになって、その人たちの口から診断されてからのことや治療のことなどの話を聞かせてもらいましたが、父の時のように抗がん剤も使い、放射線治療もあるとか。そして、何より全摘するかどうかの話はこの年になってもこたえますね。

癌というものをやっつける方法はまだ見つからないのでしょうか?

優秀な頭脳を持っていらっしゃる研究者の方たちにもっと頑張っていただきたいと切に願います。

どんな年令だって、家族がいなくなるのはどうにもならないぐらいに寂しく辛い。

私の母も新盆です。

帰ってきているんでしょうね。

でも、忙しくて家にいられなくて、お寺様へ11日の納骨のお経さんをもらいにも行けなかった。ホントごめんね。お墓詣りには、娘も孫ちゃんもみんなでいけて、にぎやかだったでしょう。月命日にはお寺さんに来てもらって、お経さんいただいたからね。

お盆の最中に仕事しながら書いてしまいました。

皆様、よい休暇をおすごしくださいませね。

さて、仕事仕上げましょうか。

 

京都へ。

また新しい一週間が始まりました。

今週はネット売上分の後始末や請求書あり、そしてお給料計算と振込をしないといけません。数字に関する仕事が多い週です。間違わないように進めていきましょう。

 

仕事とは全く関係がありませんが、先週末に京都へ行ってきました。

母の納骨で京都西本願寺大谷本廟へお参りしました。

納骨はこれで三度、3か所目になります。

家のお寺さんの納骨堂へまず一番に納めて、先月にはお墓へ納めました。

今年の春のお彼岸に墓参りをしましたら、お墓がいつもになく汚れていました。お墓参りのたびにたわしやタオルできれいにしていたつもりでしたが、苔が石のあちこちにひどくまとわりついていて、洗っても落ちません。

こんな状態ではと思って、石を洗ってから法名を彫ってもらうことにしました。気候がよくなる4~5月をめどにお願いしましたら、連休に入る頃には仕上がって、いつもとは違う時期でしたが、娘たちとお墓参りして、そのあとにお寺さんに来ていただいて納めました。

「千の風になって」という歌には、「そこに私はいません 眠ってなんかいません」という歌詞がありますが、私は母にここでゆっくり眠っていてほしいと思います。お墓参りに来たら母に会えると思うと気持ちが楽になりますから。

そして、京都へは主人、娘、私の妹たちとその子供達に息子一家が一緒に出掛けました。孫はこんな大きなお寺さんは初めてでしょうから、怖がらないか心配してましたが、元気いっぱいでした。ホッとしました。

 

      

 

受付をして、全員がそろうまで一休み。その後お経をいただいて、まず祖壇へ。親鸞聖人の墓所近くへ納骨していただきます。一緒にお経をいただいた方全員でお参りして、分骨してきた包みをお盆の上に置かせていただいて、お坊様が納骨してくださいました。

母が本当に仏様になってしまうんだと思うと涙が止まらなくなりました。

お坊様が戻ってこられるまで、数珠を手にずっと手を合わせていました。

もう一度合掌をして無量寿堂へ。

無量寿堂には家のお寺さんのお仏壇がありますので、そこへ最後の納骨です。

しばらく待っているとお坊様がいらっしゃってお経をあげて下さいました。

一人ずつお焼香をして、仏壇の中に入れさせていただきました。

これで全部が終わりました。

私の喪主としての役目も無事終えたということでしょう。

少しの寂しさはありますが、納めるところへ納められてよかったと思いましたね。

その後、久しぶりに集まるので、食事ができるところはどこかにないかと弊社の京都のお得意様を考えましたら、北野天満宮近くにいいお店がありましたので、予約して伺いました。

 

お店の外観を撮るのを忘れてしまいましたので、中にあったお店の案内を載せさせていただきます。上京区御前通今出川上るという住所ですが、北野天満宮横の道を歩いていくとこのお店の看板と「喜の字や」の文字が目に入ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土曜日でも食べられるランチメニューです。手毬ずしが右側にありますが外れてしまいました。ごめんなさい。


 

 

 

 

 

お蕎麦は弊社と喜の字や様の打ち合わせの中で決まっていきました、福井県産丸挽きそば粉のブレンド粉を10割で手打ちしていらっしゃいます。なので、短めでのど越しではなくしっかり噛みたいおそばでしたね。わが社のそば粉の香りが立って、ジュワ~と唾が出てきました。

ホントに美味しい。でも、この京都でこのお蕎麦が受け入れられているのはとても不思議な感じですよ。こんなに色が黒くて、粗くて、太くて、硬いお蕎麦なんですよ。なのに、次々とお客様が入ってこられて、「ざる大盛り」だの「おろしそば」だのって召し上がっていかれるんですよ。もうこのお店は、天神様ゆかりのお蕎麦屋さんになっていらっしゃるのではと思いました。

そば湯もこんなかわいいカップでいただきました。色とりどりで楽しい感じですよ。

 

これはそばではなく、ほうじ茶のアイスで3色のお餅がついているデザート。アイスの上にはそばの実を炒ったものがトッピングされています。

香ばしくて甘みもほどほどで大人の味でしたよ。

ここでもうお腹がいっぱいになり、お店を後にしました。

上川ご夫妻がお二人で営んでいらっしゃるきれいなお店です。

皆様もついでがおありでしたらお寄りくださいませ。

暑い京都でしたが、この辺りは爽やかな風が吹いていました。

久しぶりに遠出をしてきました。

おはようございます。

月曜の朝はたいてい少々眠く、体が重い感じがしますが、今日は特にそんな感じがしています。でも、週の始まりなので頑張って仕事はじめました。今日は集金日ですし、来客もありで忙しくなりそうです。

さて、この週末は出雲大社へ行ってきました。そこが目的地ではありますが、その道中には予定をたくさん詰め込んで…。だからけっこう疲れましたし、疲れがドンと残っています。

10日(土)の午前8時前に自宅を出発して、北陸自動車道から舞鶴若狭道へ。おにぎりや飲み物を買いこんで、珈琲は適度に飲みながら進んでいきます。舞若から中国自動車道へ。そのあとは、あまり詳しくないので運転手の社長にお任せです。

出雲大社へはこれで3度目になります。最初は20代後半でしたね、大学の友人の結婚式の為、遠い遠い道のりを出かけました。当時は神戸から向こうには行ったことがなかったので不安を抱えながらでしたが、大阪で友人と一緒になりましたので、そこから岡山まで新幹線で、そのあとは在来線を乗り継いで、今は重要文化財になっている旧大社駅に降り立ったんでしょうね。あまり覚えていませんが。

次は4年前にピリケン様の納入業者の会である「ピリケン会」の年1回の旅行で出かけました。この時は、足立美術館にも連れて行っていただいて、米誌ランキングで10年以上1位に選ばれている名園を楽しんできました。お茶室「寿立庵」を見学して、その中でお菓子とお抹茶をいただきました。なんとも贅沢な時間でしたよ。ちなみにそのランキングの第5位は、福井の養浩館庭園なのですが。ちょっと自慢…!御免なさい。

この時は、平成の大改修が進んでいる時でしたので、人の波が途切れない様子でした。でも、檜皮が葺き替えられた屋根は、清々しく美しくて、見られてよかったと思いました。そして、今回は、あの時説明を受けていながら確認できなかった4つの鳥居を、しっかり見てきましたよ。

まず、第一が石の門、第二が木の門、第三が鉄の門、そして最後の銅の門です。皆さん木の門の柱の足元で一礼をして出入りをされています。私も見習って鳥居をくぐらせていただきました。

これは鉄の門、真中は神様のお通り道、わきの小道を歩いていきます。

 

          

大きさも私の感じだけですが、石の門が一番大きくて、順に小さくなっているように思いました。

四つの鳥居を抜けて、本殿前で参拝です。

二礼四拍手一礼が出雲大社のお参りの仕方。この参拝がもう一度できるなんて、4年前ここを去る時は思いもしませんでしたが、本当にご縁でしょうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本殿や脇社寺を見学しながら、パシャリもしながら歩いていきます。

でも、もうこのあたりでおなかがすいてきて、時計を見たら、11時近く。

木の門の前に以前はなかったように思うのですが、新しいお蕎麦屋さんがありまして、そこで出雲そばを試食しようということになりました。

暖簾をくぐるともう半分以上の席が埋まっています。

小上がりのテーブルが空いていたのでそこに座って、さてメニュー!

出雲といえば、3段割子そばでしょう。

      

というわけで、いただきました。

蕎麦の色がうまく出ていませんが黒めで、食感はさくっとしたお蕎麦でした。

薬味がもられた椀の中につゆをたっぷり注いで、ズルズルと。

福井のおろし蕎麦ともまた違った味で、これはこれで美味しいと思いました。

こういうお蕎麦が好きな方も確かにいらっしゃると思いますね。

福井在来種のお蕎麦は、味が濃くて、ズッとすすると噛みたくなるほどコシがあって旨いのですが、時には違ったお蕎麦をいただくのも楽しみになります。

さっとお蕎麦いただいて、早くも帰途につく時間になりました。

帰り道に立ち寄りたいお店があると社長が言いますので、そのまま車に乗り、出雲を後にしました。

このころから暗雲が立ち込め、とうとう雨が降り出しました。

広島を走っている時は土砂降りで、岡山に入るまで雨、そして、弊社のお客様「芳泉庵」様に到着したのはもう午後3時になっていました。やっぱり時間がかかるものですね。

ここからしばらくご夫妻とお話をさせていただきました。

こういう機会でもないと、お顔を拝見することもできませんので、私も会長も車に乗っていっただけですが、お会いできてお話しできて、美味しいコーヒーもいただいて、よかったなと思いました。

ご希望に沿うようなそば粉をお送りしますとお約束してお店を後にしました。

晴れ間が見えてきた高速を一路福井へ~。

自宅等客は午後10時でした。

疲れもありましたが、出雲大社と出雲そばを楽しんだ旅でした。

お読みいただいてありがとうございました。

以上です。