投稿者「fumiyo」のアーカイブ

6月20日 もう2週間が過ぎてしまいました 早すぎる…!

こんにちは。お元気ですか?お変わりありませんか?

福井も先週から暑くなってきました。私は本当に暑さには弱くて、辛い日々が始まりました。

昔からそうだったのかもしれませんが、私は汗が頭から出てくるようで、すぐに髪の毛が濡れてしまいます。人と対面していても髪の毛から落ちる汗が気になって、できれば人に会いたくない気分になります。顔というか首から上は汗をかかないという方がいらっしゃいますが、うらやましい限り。昔は新陳代謝がいいといわれましたが、年が経ってもこうでは対策は難しくて、手を焼いています。タオル、扇子はこの時期からの必需品です。

 

さて、弊社の生そば製造販売プロジェクトも粛々とすすんできました。先々週からFBを通して、そばの試食をしていただいたり、ネット通販で5千円以上お買い上げいただきましたお客様に同梱させていただいたりと製造にご協力をお願いしました。いろいろご意見もいただき参考にさせていただいております。皆様方に心より御礼申し上げます。

弊社の一番人気の銘柄「金華」の二八蕎麦を主流で製造することになりまして、近々正式に販売を始めようと思います。

パッケージも包装方法も、社長はじめスタッフみんなで決めて、みんなができるようになるまで練習して、ようやくこんな感じの商品に仕上がりました。みんなお疲れ様でしたね。

自宅で試食分をゆがいてみました。

しっかりとした平打ちのお蕎麦、見るからに食べごたえがあって、福井のお蕎麦という感じです。おまけでそば刺しまでついています。わさび醤油で、お酒のおつまみにいかがでしょう。

 

このようにスタッフ一同これから頑張って製造してまいりますので、弊社のそば粉で打った生そばをご希望のお客様はどうぞご利用くださいませ。ご注文をお待ちしております。

「6歳の6月6日から始めた芸事は大成する」と聞いたことがありますが、商売でもこの日を起点に新しいことを始めるといいんじゃないかと引用して、もうひと踏ん張りステップアップしていきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。

もう一つご報告。

弊社に新しいスタッフが加わりました。我が家の末娘、ひとみです。東京で十数年勤め、平成30年の豪雪前に福井へ帰ってきました。私が左手首を骨折した時にそばにいてくれてとても心強かったですよ。福井でも他の食品関係の会社で仕事をしていましたが、会長や私が完全に引退した時に絶対に頼りになると思い、入ってもらいました。親子・兄弟姉妹・夫婦・嫁姑等々家族での商売は、立場でいろんな感情があることも承知で、令和4年度から8名体制で仕事をしております。

そして、これを機に、常務が考えた「三姉妹通信」を始めました。はなえとひとみは実姉妹ですが、常務は義姉妹。でもこれからもこの三姉妹で書く復刻「粉奈屋通信」を楽しんでお読みいただけるよう、こちらも仲良く和気あいあいと続けていってくれたらと思っています。

ちなみに、この三姉妹の似顔絵は、9才になる孫のさえが描いたもの。なかなかいいと私は思っていますが、読まれた皆様はどう思われたでしょうか?

社長は「詐欺だ!」と言ったとかいわないとか?

 

 

 

 

今日は6月6日、習い事を始めると上達するとか…。

こんにちは。

6月の雨の時期に入りますが皆様はお変わりございませんか?

私は5月の後半、どういうわけか体がひどく重だるい日が続いて、毎日仕事にくるのが辛かったんですね。いろいろ気ぜわしくて、体も精神もゆっくり休めませんでした。だた毎日起きて食べて動いて寝るの繰り返し、本当にぼーっとしていたいと思っていました。

土日も何かしら用事ができて動いてしまう。その積み重ねでたまっていくんでしょうね。それに月末と月初は事務作業が煩雑で、ストレス満杯です。疲れますよ。それと、この期間膝の調子が悪くて、思うように動けていないのも一因ですね。ホント年はとりたくない!

でもこれは言い訳。何にも始まらないと整体で体を戻してもらい、今週は元気が戻っています。 いつもの整体の先生ありがとうございます。

いつもの県内紀行文を一つ。5月22日(日)に今までは福井からとても遠かった高浜町へ出かけました。舞鶴若狭道が開通してからは本当に近くなり、小浜もおおい町も美浜三方町にもよく行きますよ。薔薇が見ごろな庭園が一斉に鑑賞できるとこの日の新聞に載っていて、観たくて。

でも、情報収集の苦手な私どもの事です、すんなりと行けるわけがない。結局、若狭富士と呼ばれる青葉山へ行くことに。この日も上天気で、ドライブは気持ちよかったんですね。

駐車場に車をとめると目の前がもうハーブの庭園で、いろんな薬草が植えられていました。

これもハーブだそうです。芍薬の群生なんて初めて見ました。

そこからしばらく上ると、青葉山ハーバルビレッジがあり、前夜キャンプで泊まったと思われる家族連れが大勢遊んでいらっしゃいました。景色がいいし、施設も万全で楽しそうです。

キャンプ場の中にポツンと立つピンクのドア~?どこでもドア?でも可愛い~!押し開けてどこでも行きたいわ~!

管理棟の建物の中には、茶カフェあおばやまテラスがあり、軽食がいただけます。もうお昼になっていましたので、休憩がてらランチを注文しました。

おにぎりプレートと有機コーヒーのセットで800円、でもモンベル会員だとそこから100円引きになりました。さすが青葉山への登り口にある施設、スープもリンゴのコンポートも美味しかった。

登山の準備などしてない…当たり前…ので、また来たいと思いながら山を下り、今度は主人が行きたいという明鏡洞・城山公園へ向かいました。昔両親と兄達と車で来たことがあるところで、もう一度見てみたいといいますので。

若狭地区の海の色は別格なくらい綺麗で、澄んでいます。もう海に入っている人もいて気持ちよさそう。私は主人の後について山のほうへ。

手前の芝生公園から明鏡洞を観ます。こんな写真からでも水がきれいなのはおわかりいただけると思います。公園というので、城山のほうへ向かうと結構な上り坂、プチ登山の感覚でした。普通の靴だったので、ここで膝に負担がかかったのかもしれませんね。でも登ってみたらこんな素晴らしい景色に出会えました。

海の水が本当にきれいです。でもぞくっとするくらい静かで、ひと気がない。K国が拉致しようと思えば簡単にできるなぁと実感してしまいました。こういうことは背中合わせでしょうから。

さて、気持ちよく帰途につき、近くのウミカラというマーケットで夕食の仕入れを。魚がメッチャ豊富で美味しそう。福井でも食べられるけれど、若狭は違った種類のお魚が並んでいてどーんと買い込みました。雪も降るけど自然が近くて、海や山の幸も楽しめて、私は地元が好きですね。

もう帰る時間になってしまいました。また明日でも続きを、書けるときに書きますね。

5月16日、先々週は久しぶりの大型連休らしい日々でした

こんにちは。

2月の本格的な仕事モードに入ってから、ずいぶん日が経ってしまいました。皆様お元気でいらっしゃいますか。忙しいと日を過ごしているうちに、3月も4月も去って、大型連休も過ぎてしまいました。

今年はいつまでも寒かったですね。なかなか厚いコートが手放せなくて、「早く春が来ないかなぁ」と小1の孫が口にするほどでした。

先の着さら着(如月)の2月が終わろうとする時に突然起こったロシアの侵攻は、年を重ねたこの身にもこたえましたね。辛くて怖くてかわいそうで見ていられない。特に子供の涙は本当に辛い。家の二人の孫と同じくらいの子供が泣きながら歩いている姿は、もうやめてくれとプーチンに直談判したいほどの苦しさでした。何をもってしてもあなたの愚行は許されないと、自覚していますか?

そして、日本も例外ではないと寒くなる思いがあります。いつこちらに火の粉が飛んでくるかわからない、もしその時、この国のトップに君臨している政治家達は国民を守れるのか、お金に目がくらみ、物事を隠そうとばかりしている肝っ玉の小さい男性諸氏(一応敬意を込めて)ばかりではないのか? 日本国民は各人で自衛するしかないのでしょうか。

あの砲弾、ミサイルから身を守るすべが今の日本にありますか?家の周りを花鉢で囲うことも日々の楽しみとして必要かもしれませんが、有事の時の地下シェルターは考えないといけないものと思うようになりましたよ。野外で生活ができることも必要で、コロナ禍で楽しむ人口が増えているというキャンプの知識は、ぜひ身につけたいと考えるようになりました。

TVで時々”ヒロシのぼっちキャンプ”を観ますが、こんなことができたら楽しいだろうなと思うんです。でも、高齢者になっても女一人での野外活動は危険と隣り合わせ。ソロキャンはハードルが高いです。先達に手ほどきをしていただけると道が開けるとも思いますが、まずは近場でできることから始めてみようと考えています。

 

4月になって、桜の季節も過ぎ、花桃やハナミズキが綺麗な時期も過ぎました。春は色とりどりの花が目に飛び込んできて楽しいですね。藤も終わり、つつじも満開が過ぎました。

桜も終わりの頃に、歩いて一人花見をしてきました。上天気で気持ちよかったです。

                                 足羽川(あすわがわ)の堤防から見える風景

 

福井城址内からパシャリ!

 

福井城址にかかる御本城橋から見た花筏

 

自宅近くの公園の木、藤に占領されてます

 

5月に入ると芍薬が大きく花を開き、そして今頃はドライブしているとピンクの小手毬のような花が目に入ります。百日紅(さるすべり)でしょうね。白い花が葉を覆っているように見える木もあります。山ぼうしでしょうか。

越前市の万葉菊花園の中の庭で咲いている芍薬、大輪で見とれてしまいます。この先にはこの日まで映画の撮影が行われていた旧谷口家住宅があります。「おしょりん」という鯖江の眼鏡産業の祖と言われる増永兄弟の挑戦を描く映画、来年公開とか。観にいかなくちゃ。

 

そしてこれからは青や紫の花が見られますね。菖蒲・あやめ・かきつばた・アイリス、どれがどれか言い当てることはできませんが、好きな色の花々です。

 こんな可愛い花も道端に咲いています

花を観て楽しみ、心を慰めて、コロナ禍を少しでも忘れながら日々を送ることが、凡人が今できる最善のことでしょう。

辛い時はボーっとしていましょう。何かしないとなんて思わなくていいんですよ。いろいろあった3か月あまり、私の過ごし方をお話ししました。

2022年1月31日月曜日 本格的に仕事モードに入りました

令和4年がスタートして早、1か月が過ぎようとしています。皆様お元気ですか?

私も疲れ気味な体を厭いつつ、日々頑張っています。おかげ様です。

新しい年、令和4年壬(みずのえ)寅年です。このみずのえ・みずのと・かのえ・かのとと聞いて思い出すのは、「鬼滅の刃」の最終選抜後に階級を説明される場面ですか。数十年間アニメを見るなんてまずないことでしたが、孫に教えられてしっかりはまってしまいました。

でも、コロナ禍で何もできずにいた時にこのアニメに救われましたよ。コミックを全部買い込んで、1日1冊ずつ寝る前に読んでいました。言葉に打たれるというか、読みながら涙したり、そうそうと頷いたり、その時間があるだけで1日の終わりが楽しかったなと今でも思いますもの。

今は日曜夜のアニメを録画して、時間のある時に観ながら楽しんでます。孫のおかげでひとつ楽しみが増えましたね。

さて、年明け早々から会社の改装工事が始まりました。

1階にあったトイレを壊して、そこに新しいトイレと長年欲しかった更衣室を作ってもらいました。更衣室は、HACCPに対応できるようにと鏡・身支度用品・埃取りなどを備えるように考えています。衛生区、非衛生区の区別をして製造していかないと仕事ができなくなりますので。

17日からは製造現場の空調を入れる工事が始まりました。粉や埃が大敵な工事の為、お客様にはご迷惑をおかけしましたが、2週間製造ができない状態で進めてきました。それも終わり、28日には引き渡しが行われ、今日からは新装開店といった気分で仕事を始めています。

仕事をしながら今までと変わりないか確かめつつ、石臼の動きやミシンなどの機械類のメンテもその都度施していきます。製造現場の中にあった粉を入れる袋やハンコ・シール類も作業場前のスペースに移して、製造でき次第袋を持ち込んで製袋する方式に変えています。

機械類の配置も少し変わりましたので、安全に使いやすいようにコードなどの配線を動かしたり、機械に必要な受け缶の位置も考えたりしながら動いています。今日はスロースタートでちょうどいい日でした。

新しいものは気持ちがいいですし便利ですが、ライフラインが途絶えたら使えなくなるものばかり。手洗いの水もトイレの中の設備も自動、すべて電気が必要で、衛生面を考えたらそれでいいのでしょうが、怖い面もありますね。昔人間はこういうことを言うから疎まれるのですけどね。

久しぶりに粗挽きのそば粉を挽きましたが、奥越と吉峰の石臼さんは変わりなく、いつも通りの仕上がりでほっとしています。また皆さまに美味しいお蕎麦を召し上がっていただけるように、そば粉の製造に頑張っていきます。

ご注文をお待ちしております。

写真を撮っていませんでしたので、とりあえず文章だけお読みいただきますね。

事務所も寒くなってきました。暖房を止めたから!帰ります! では。

朝の見守り隊の帰りに近くの公園での風景。寒そう!雪が張り付いている!

明日から2月です。雪が多くなりませんように◇

 

 

 

 

 

 

工事の始まり 昨日に引き続き暑い日です

こんにちは。

今日は16日(木)、世の中ではあさってから3連休ですね。だからってどこへも行けませんし、家族でお墓参りに行こうかなといった感じでしょうか。そこをまた温帯低気圧に変わった台風が襲ってきます。今年は人も農作物も天候に恵まれません。残念ながら。

第3期工事になりますか、今日弊社の看板が撤去されました。

平成3年11月から始まった現工場の新築工事の仕上げ段階で設置されたこの看板は、主人(現会長)と私にとって毎日見続けた大事なものです。ここへ通い続けて30年、その間にも変遷があり、思い出深い看板ですね。

最初ここに書かれていた社名は「有限会社 末吉製粉所」でした。私の父が昭和46年に法人組織にした時につけた社名をそのままに、看板に記しました。ただ、そば粉の紙袋の住所は元のままで、ゴム印を押して現住所を表していました。

その翌年に紙袋の在庫が少なくなり、袋を新たにすることになり、そこでデザインも一新しようと各方面に知恵をお借りしつつ、現在も使用している石臼とのし棒と包丁のものに決め、住所も替えました。この時社名もちょっと変えたのです。

「有限会社 末吉製粉」として平成5年に新しい気持ちでスタートしました。なぜ「所」をとったのかは紆余曲折がありまして、説明がしにくいのですが、一因はお客様からのひと言もありました。「電話に出るときに何故ちゃんと社名を言わないの」とお叱りを受けました。若気の至りでしょうか、「すえよしせいふんしょ」って言いにくかったんですよ。そんなこともあり、看板からこの一字が外されまして、1度目のお色直しとなりました。

それから16年が経ちまして、末吉さんから私の祖父が商売一式、機械、石臼もろとも譲り受け、末吉製粉所を加賀家で営業するようになってから70年の年月が過ぎたことを契機に、もう自分の名前で商売しても不義理にはならないだろうと考え、加賀製粉の出発を決めました。

その当時はもう簡単に「株式会社」組織に出来る時代になっていましたので、組織変更と社名変更を同時に進めていました。

その最中に関東在住の知り合いから、「加賀」というと石川県を思いだして、福井とは思わない。いっそ全部カタカナにしたら?これからは世界を見ていかないとというアドバイスを受けて、「株式会社 カガセイフン」とすることに決定しました。実際、カガセイフンになってから、「何故福井なのに加賀製粉?」と電話で聞かれたことがありました。私どもの姓が加賀なんですよとお答えすると「そうなの」といった感じです。

看板の文字替え、塗り替えをして2度目のお色直しでまた綺麗になりました。

それ以来早くも12年、最近の暴風雨や豪雪のためでしょうか、本当に傷んできました。そろそろ寿命でもあるでしょう。綺麗になくなってしまいました。

会長の一言がすべてですが…。

「さみしいな」

私も同じ気持ちです。でも近いうちに設置してもらえる新しい看板で、役員社員一同心機一転頑張っていきましょう。建物の工事もやがて再開です。

9月15日 昔なら今日は敬老の日ですね

こんにちは。

今月に入ってから涼しい日になっていましたが、今日は暑い!

軽ワゴンで配達に出たら暑くて、喉が渇いてしまいました。どんな時でも飲み物は携帯しないとと肝に銘じました。年をとると動きが悪くなりますし、配達の途中に車を停めてコンビニへという気になれない時もあるので、持って出るのが一番ですね。

朝の集団登校の集合場所はマンションの玄関先なのですが、そこに似たような樹木が数本植えてあるのです。以前から何の木かなと気になっていたのですが、今月に入ってから1本に実がついてきました。ますます気になる…。

で、写真を撮って、ネットで調べてみようと思い立ち、早速パシャリとやってみました。

きれいに写ったのでどんな木かよくわかります。同じような樹でも違う所をみつけて調べてみました。実がなっていて、葉は緑色で艶があります。この実はその内開きそうな感じがします。

木斛(もっこく)という樹のようです。やがて赤い実になるようですよ。花言葉は「人情家」、良縁に恵まれますようにという願いを込めてついたらしいですよ。庭木に適しているというのはそういうことからもあるのでしょうか。

その隣の樹もよく似ているんですが、葉っぱの根元が赤くて実のない樹です。

こちらは「ひめゆずりは」という樹のようです。幹もよく似ていて一緒な樹のように見えました。どちらも青々とした葉が特徴で、赤い実と葉の根元の赤が朝日に綺麗に生えて、1日頑張ろうという気持ちになりますね。

子供たちにこの樹の話をしたら興味深そうにしていました。朝が少し楽しくなりそうです。

そう、もうすぐ私の好きな金木製の香りが漂ってくる頃です。楽しみに待っています。

今日の午後から、HACCPに関するwebセミナーをスタッフ一同で受講しました。食中毒菌の事や発生した場合やそれに関する罰則事項など細かく説明されて、今後の指標になります。

工場の改築・改装工事とともに、こういった決まり事も組み込んでいくことが大事とわかりました。一つ一つ資料を見ながら進めていこうと思います。年寄りも山の賑わいくらいの仕事はできるでしょうから。

また工事が再開します。いろいろよろしくお願いいたします。

 

9月 September 私の大好きな月です

9月です。福井市は8/27(金)から新学期が始まりました。

今年の4月から、小学校の集団登校時に同行する見守り隊に参加しています。孫二人と一緒に私の母校でもある学校まで約20分ほどを車に気をつけながら歩きます。

途中に大きな交差点があり、毎日公民館の館長さん達が「横断中」の旗をもって立ってくださいます。
私は子供たちと一緒に渡り、館長さんや待っていて下さる自動車のドライバーさんに「ありがとう」の会釈をして、あと半分くらいの距離を学校までついていきます。

他のグループと一緒になると、歩道を2列、3列で歩くようになり、結構密な感じです。車社会の福井では、これ以上歩道を広げるなんてことはできないでしょうし、時間差で登校するようにはなっていませんし、ちょっと考えてしまいます。


小学校前の車道は片側2車線で結構広いのですが、その分車の数がすごく多くて、その1車線が右折車線になるので、左車線はずっと渋滞状態。そして、ここの歩道は広くて歩きやすいのですが、自転車が通行します。
この歩道を狭めて、車道を広げるという計画があるようで、夏休み前に歩道の3/1ほどのところにロープを張り、その幅でも子供たちが歩けるかという実験をしていたようです。


いったい何が優先なのでしょうか?家から学校まで歩いてみたらわかりますよ。子供の足で20分近く毎日歩くところを車に譲ることができるかどうか。車であれば暑さ寒さも気にしなくていい。雨や雪や風も関係ない。でも子供たちは、重いランドセルや水筒や体操服入を担いで、車の横を通り、排気ガスや冷房の外気にあてられ続ける。学校へ着くまでに身体も心も疲れてしまいます。


何かもっと柔軟に、子供たちが安全に動けるような仕組みが作れないものかと考えます。一高齢者ができることではないでしょうが、せめてしばらくでも笑顔がみられる登校になればと思っています。

まだまだ受け入れてもらえませんが…。

昨日までの3日間は残暑が厳しくて、歩くのに帽子、日よけ手袋、タオルは必需品でしたが、今日は、丑三つ時から明け方にかけて雨が降っていたので朝が涼しく、見守りの歩きも楽でした。雨にもあわずに8時前に帰ってきて、家の後始末をして、会社に到着。

見守りも夏休みだったので、まだ少々疲れるのですが、子供と行動できることが楽しいなぁと思えて、これで、子供達から笑顔と挨拶をしてもらえるようになれば、もっと楽しくなるなと思うところ。

おいおいそうなればいいのですが。

8月30日月曜 八白大安 お久しぶりです。

前回ブログを書いた日からちょうど3年になります。
皆様お変わりなくお元気でお過ごしでしょうか?


私はこの期間に現役を引退し、少しだけ時間を持ちたいと思っていました。が、なかなか希望通りにはなりません。そんなものですよね。それでいいのかもしれませんし。ただ、健康状態は常に気にかけて生活していますね。身体は正直ですから大事に扱っていかないと動いてくれない年齢になっています。無理せずもうしばらく自由でいられるようメンテも忘れません。

さて、社長と常務の方針で、HPも様変わりして、販売する商品も増えてきています。時につけ読み込んでいますが、なかなか面白いので皆様もよくよくお読みください。

そうですね。会長と私が主に経営していたころとはいろんな意味で厳しくなってきている現在、若返りができたのはとてもありがたい状況だと思っています。

社長・常務はIT関連に特化し、営業体制を前へ前へ進めていってもらう。この二人のひらめきと推進力はすばらしいと感心するばかり。身内に甘いわけではなく、頭の柔軟さは何事にも勝ると常々思っているからですよ。

会長は工場内の機械・石臼のメンテや配達にもうしばらく頑張ってもらう。次を育てないといけないのですが、ここは今のところ手つかずな感じです。

専務の私が担ってきた経理と事務も次に渡していく作業を始めています。事務は、3年前に長女が入社し、以来事務部門を委譲してきたので、もう毎日の仕事は任せられます。
私は製造・配達をしながらの経理事務だったので、毎月の帳簿を仕上げるのが遅くなり、日々の仕事終わりや土曜の時間を使っていました。その為かなり追い立てられている時期もありましたね。まだ人的に不十分なのがこの経理部門。私の代わりができる人をと思っています。
真面目で几帳面な性格の人が最適だと思いますが、配達も製造も兼任できて、みんなの気持ちを和らげてくれるような人がいたら私も安心、こちらも頑張りましょう。

後二人のスタッフと一緒にコロナの悪影響を排除しながら、これからも美味しい、安心してお召し上がりいただけるそば粉を製造してまいります。

そして、9月に入り秋の気配が立ってくるころに工場の工事も再開されます。皆様にご不便をおかけしないよう気を配って営業いたします。よろしくお願い申し上げます。

しばらくぶりに書いてみましたが、どうまとめたらいいのか忘れているところもありますので、また時間を見て書いていこうかなと思います。
しばらく文字ばかりのものになりそうですが、お許しください。

8日31日(金) 平成30年も残すところ4か月になりました。

こんにちは。ご無沙汰しております。

今年に入って、ブログを書くことにも不都合なくらい視力が出なくなってまいりまして、3月の年度替わりを機にブログからも引退しようと思っていましたら、けっこうおもしろいことをこの年でも体験できまして、皆様にお聞きいただきたいと思うようになりました。

そういった訳で、おかみブログを再開いたしました。しばらくおつきあいいただけますと嬉しいです。よろしくお願いいたします。そばに関しますことは、どうぞ息子健太郎の社長ブログへお越しくださいませ。

4月は相変わらず左手のリハビリに通っていました。左手のけがで影響はないように思いますが、長年続けてきた茶道はできなくなりました。大事なお道具を傷つけたら、落として欠けや割れがでたらそれこそ一大事です。袱紗捌きもお茶碗のお湯を建水にあけることも、手が痛くてできなくなっていましたので、40数年楽しんでこられたことに感謝して、離れることにしました。

今は何をしようかなと考え中です。

一つできなくなると、他のことにも消極的になるのか、好きで聴いていた歌もきかなくなり、水泳や体操もできないこともあって休んでしまっていたり、休みといってどこへも出かけない時が増えてきていました。それを表向きにさせてくれたのが小旅行でした。

4月は名古屋へ行ってきました。久しぶりに味噌煮込みうどんが食べたくなり、名駅から歩いて中村区まで向かいましたよ。ウォーキングしているので足は丈夫なんだけどなぁ。

久しぶりの穴のない土鍋でいただく煮込みうどんは熱々で、うどんはさっくりとしていて、美味しかった。お漬物はおかわりできるし、ビールはことのほか美味しく感じられて満足満足。

そこからイケアの新店舗へ行ってみました。

福井は何にもないところです。このイケアもコストコもアウトレットモールもショッピングモールもありません。みんなどうして生活しているんでしょうねぇ。不思議な県ですよ。でもそのぶん地元の商店や会社ががんばっているんです。規模が小さい県でも頑張れるんですよ。

さて、入ってみるとすごい人人。名古屋にはこういったショップはあちこちにあるように思いますが、新しいお店には福井人同様興味津々でしょうか?

いつもあれば購入している手ぼうきをしっかり買いこんで帰りました。石臼の周りや機械の粉落としに重宝するので必需品です。しかも安い!ありがたい!

かわいい女の子がいました

その後、お得意様を訪ねましたが、時間が合わなくてお会いできずに戻りました。残念でしたがまたうかがう楽しみがあります。次回に期待です。

さて、5月は東京へ行ってきました。気持ちは後ろ向きになっていてもこれだけははずせません。

5月の大歌舞伎は「団菊祭」ですから。毎年恒例の歌舞伎座行きですから。演目は「弁天娘女男白波」。音羽屋さんのお家の芸です。名ゼリフ「知らざぁ言って聞かせやしょう」とはじまると背筋がゾクゾクします。たっぷり楽しんできました。

その時に本当に久しぶりにお得意様へ伺いました。六本木ヒルズ5Fにある霞町そば処ますだや様です。いつものように5階のエスカレーターを降りて、右に回って直進すると左に行くようになっているはずが、この時は何かが違う?何かな?と思ったら、何と!お店の入り口がない!というか反対から入るようになっているのです。入り口があったほうは工事中で塞がれてしまっていました。

恐る恐る入店してみると、店内は変わらずそのままだったので一安心しましたが、社長様のお話によると、今までの入り口方面は大改造中で、ちょっと高級な店舗が入るらしいが、この店は入り口まで逆にされてしまって大迷惑だとのこと。しばらくの間にこんなに変わるなんてことは福井ではなかなかありません。やはり東京ですね。

お蕎麦はいつも通りで、シャキッとツルッと美味しくいただきました。辛味おろし蕎麦は大好きです。ご馳走様でした。

 

次の日には、見納めになる築地市場と羽田空港国際線フロアを散策しました。今頃はどこに行っても同じですが、東京の台所、築地でさえもインバウンドの外国の人人で時々嫌になります。日本人はどこにいるんだろうと思うくらい占領されていますよね。疲れます。言葉だったり態度だったり居住まいだったりと。日本の良さだけはなくならないようにと願いますが。

羽田空港です。

築地本願寺様      初めてお参りさせていただきました。

以上ここまででいったんアップロードします。

写真を選んでここに載せるのもなかなかに目が疲れます。

次は海外研修旅行の道中をお話しします。

 

 

 

 

桜3月散歩道、大好きな3月です

皆様 お変わりなくお元気でいらっしゃいますか?

はや春のお彼岸もすぎ、年度末になってまいりました。

まだ新年のご挨拶も申し上げていなくて、心よりお詫び申し上げます。

では、改めまして、平成30年 今年も(株)カガセイフンをよろしくお願い申し上げます。

今年は、1月11日までは今までと変わりないお正月で、普通に生活していましたが、12日の夕方から今年初めての大雪に見舞われて、生活が一変してしまいました。子供のころから何度も何度も経験してきた雪国の生活が始まったのです。

まだ降り始めはそんなにひどくなるとは思わずにいましたが、13日の朝起きて外を見てみると、本当に一面の銀世界…なんてかわいいものじゃない。家がすっぽり雪に埋まってしまっています。

玄関前の雪かきから始まって、車を車庫から掘り出して、会社まで来てみると、会社の駐車場もすっぽりと雪に埋もれています。ちょうどお休みをいただいていた土曜日でしたが、会社に入り、ママさんダンプと呼ばれる両手で雪を運べる大きいスコップといっていいのか?を持ち出して、雪を敷地の隅まで運ぶ作業を続けました。でも、雪は降りやまず、30分ほどで切り上げて帰りました。

体がひどく冷えて、いつもとは違う寒さだと思いました。でも、少しでも雪をどけておくと月曜に出勤した時が楽なので、これで良しとしました。

この雪は10日ほどで融けたのですが、その週末から第2波の大寒波が襲ってきました。また雪に埋もれた生活。だいぶ雪が嫌になってきていました。この時積もった雪が消えないまま、2月の大雪に突入することになります。

2月5日、朝から雪が降りやみません。夕方にもそこそこの積雪がありましたが、まさか翌日から全然動けなくなるなんて思いもしませんでした。

6日朝、外を見てみるとここ数年でも見たことがないほどの雪。玄関前から雪かきを始め、カーポート前にとりかかろうと思いましたが、除雪車がよけていった塊の雪が重くて硬くて、とても車を出せるほどに除くことができません。その雪をよける場所もないくらいの雪の山があちこちにできていることもあり、この日は車を出すことをあきらめました。

でも会社には行かないといけないし、やっぱり要るよなぁと思い直し、塊を崩して雪山の上に積み上げて、車が出られるくらいに両横の雪の壁も崩して、何とか出られたのはもう10時もまわっていたかと思います。あちこちでスタックした車がある中、会社までたどり着いたのはいいけれど、今度は会社の駐車場に入れない。ふきっさらしのそこはすでに1M近く積雪があり、雪かきなどできる状況ではありませんでした。たとえ雪かきをしたくても、その間車を停めておくこともできないほどに周辺の道路も埋もれていて、この日の仕事はあきらめて自宅へ向かいました。

その帰り道もまたひどいことになっていて、渋滞の列についてからは数センチ動いたかと思うと停車、しばらく動かないの繰り返し、その間も雪は降り続いています。見る間に車の屋根に雪が積もり落ちてくる状態は本当に怖いと思いました。この時にニュースになった国道8号の渋滞も始まっていたのですよ。

10分ほどで帰れる家まで1時間以上かかってたどり着き、今度はこの車を入れるためにまたまた雪かきをして、走ってきた他車に待ってもらい、何度か切り替えしてどうにか納めました。ただただ疲れた~。この日は社長が歩いて会社へ行き、お客様の対応をしてもらえたけれど、翌日からの通勤のことを思うともう歩くしかないと覚悟をしました。

7日も降りやまない雪を見ながら、一路会社へ。普通に歩くのだと30分ほどで着きますが、車の列をぬっての雪道では思うように歩けず、やはり1時間近くかかりましたね。

電話応対、出荷ができない状況説明、雪かきしようにも積もりすぎてとても人力では手におえない苛立ち。配達のワゴン車の1台も掘り出せないので、歩くしか他ないなんてことが起きるとは思いもよりませんでした。そしてこれが翌日のトラブルにつながってしまうのです。

8日朝、ダウンコートにカッパズボンに完全防水の長靴と毛糸の帽子をかぶって、昨日と同じように歩いて会社へ向かいました。昨日と違っていたのは傘。雪の降りが昨日よりも激しく、帽子だけでは髪まで濡れてしまうようだったので、傘をさして歩いていたのです。

昨日と同じ道なのに、除雪車が通った後で雪はカチカチの圧雪に、表面はつるつる滑るのにその上に柔らかい新雪が積もって道の状態が分からなくなっていました。こういう道は本当に怖いんです。

一歩一歩足を置くように歩いていましたが、傘でバランスが崩れたのか思いがけず両足で滑ってしまいました。体を支えたのは左手だけ。手をついた瞬間「アッ!これやってしまったな!」と思いました。手首が動きません。しばらくすると指が腫れてきました。

とにかく会社に行かないと始まらないと、左手を支えながら歩き続け10分ぐらいで会社到着。痛みがひどくなってきていました。でも、会社に着いても車は埋もれたまま、近くのタクシー会社に聞いても、車はあるけれど運転手がいない、だれも来ていないとのこと。

いつも診てもらっている整形外科に電話をしてみたら、両院とも「本日は休診日です」。そうだった木曜日はお休みのお医者さんが多いんだと気がつき、もう選択肢は救急車しかないとなりました。電話をして待つこと30分、会社から県立病院まで20分ほどかかりましたが、救急で診てもらえることに。有難かったです。間違いなく「左手首骨折」でしたが、先生から頭を打たなくてよかったねと一言いただきました。基幹病院としてはたくさんの怪我人が来た日だったようですよ。

腕に添え木をするのも三角巾で腕をつるのも生まれて初めてのこと。1週間後に手術をすることになり、それからは娘に手助けしてもらいながら日を送りました。まあそうは言っても、仕事は放っておけないし、日々の生活は休むわけにいかないので、右手と口でいろいろやっていましたよ。

私がけがをした後、会長、社長、社員の男衆3人で軽ワゴンを1台掘り出して、配達に出られるようにして、それまで行けなかったところの配達を済ませたよう。私は家に帰って、主人に連絡を取りながら帰りを待っていました。夜10時ごろにようやく帰ってきて、金沢まで配達してきたといいます。佐川便もヤマト便も全く動かず、それでもそば粉のご注文はいただくので、北陸自動車道が開通したこともあり、金沢市内だけ回ってきたと。この怪我を本当に申し訳ないと思いました。

不注意ではないのだけど、年をとるということはこういうことなんだと自覚しました。リハビリも続けています。左の中指と薬指が上手く曲がりません。握力も弱いです。重いものも持てません。不都合を持ちながら仕事をしています。少しだけそれをカバーしてくれる人がいればと思いましたが、結局こういった人間は必要ないのだとわかってきました。

そろそろ引退を決めないといけない時でしょう。「老兵は去るのみ」いまわが社にいるスタッフはみなそう思っていると思います。年寄りががんばっていていい時代ではなくなっているとひしひしと感じます。30代の中に60代が二人だけいる訳ですが、たぶん皆が私達夫婦をどう扱うか考えあぐねているのでしょう。引き際を決めなくては。

長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。

今回でこのブログも終わりにしようと思います。

何の知識もなく、ただ40数年この商売を担いできただけのおばさんです。

ご迷惑もおかけしたと思いますが、お許しくださいませ。

今後は若い世代で会社を運営していきます。

若さは溢れていますが、経験というところではまだ未熟な者たちです。何分よろしくお引き立ていただきますよう心からお願い申し上げまして、最後のご挨拶とさせていただきます。

本当にありがとうございました。