皆様 お変わりなくお元気でいらっしゃいますか?
はや春のお彼岸もすぎ、年度末になってまいりました。
まだ新年のご挨拶も申し上げていなくて、心よりお詫び申し上げます。
では、改めまして、平成30年 今年も(株)カガセイフンをよろしくお願い申し上げます。
今年は、1月11日までは今までと変わりないお正月で、普通に生活していましたが、12日の夕方から今年初めての大雪に見舞われて、生活が一変してしまいました。子供のころから何度も何度も経験してきた雪国の生活が始まったのです。
まだ降り始めはそんなにひどくなるとは思わずにいましたが、13日の朝起きて外を見てみると、本当に一面の銀世界…なんてかわいいものじゃない。家がすっぽり雪に埋まってしまっています。
玄関前の雪かきから始まって、車を車庫から掘り出して、会社まで来てみると、会社の駐車場もすっぽりと雪に埋もれています。ちょうどお休みをいただいていた土曜日でしたが、会社に入り、ママさんダンプと呼ばれる両手で雪を運べる大きいスコップといっていいのか?を持ち出して、雪を敷地の隅まで運ぶ作業を続けました。でも、雪は降りやまず、30分ほどで切り上げて帰りました。
体がひどく冷えて、いつもとは違う寒さだと思いました。でも、少しでも雪をどけておくと月曜に出勤した時が楽なので、これで良しとしました。
この雪は10日ほどで融けたのですが、その週末から第2波の大寒波が襲ってきました。また雪に埋もれた生活。だいぶ雪が嫌になってきていました。この時積もった雪が消えないまま、2月の大雪に突入することになります。
2月5日、朝から雪が降りやみません。夕方にもそこそこの積雪がありましたが、まさか翌日から全然動けなくなるなんて思いもしませんでした。
6日朝、外を見てみるとここ数年でも見たことがないほどの雪。玄関前から雪かきを始め、カーポート前にとりかかろうと思いましたが、除雪車がよけていった塊の雪が重くて硬くて、とても車を出せるほどに除くことができません。その雪をよける場所もないくらいの雪の山があちこちにできていることもあり、この日は車を出すことをあきらめました。
でも会社には行かないといけないし、やっぱり要るよなぁと思い直し、塊を崩して雪山の上に積み上げて、車が出られるくらいに両横の雪の壁も崩して、何とか出られたのはもう10時もまわっていたかと思います。あちこちでスタックした車がある中、会社までたどり着いたのはいいけれど、今度は会社の駐車場に入れない。ふきっさらしのそこはすでに1M近く積雪があり、雪かきなどできる状況ではありませんでした。たとえ雪かきをしたくても、その間車を停めておくこともできないほどに周辺の道路も埋もれていて、この日の仕事はあきらめて自宅へ向かいました。
その帰り道もまたひどいことになっていて、渋滞の列についてからは数センチ動いたかと思うと停車、しばらく動かないの繰り返し、その間も雪は降り続いています。見る間に車の屋根に雪が積もり落ちてくる状態は本当に怖いと思いました。この時にニュースになった国道8号の渋滞も始まっていたのですよ。
10分ほどで帰れる家まで1時間以上かかってたどり着き、今度はこの車を入れるためにまたまた雪かきをして、走ってきた他車に待ってもらい、何度か切り替えしてどうにか納めました。ただただ疲れた~。この日は社長が歩いて会社へ行き、お客様の対応をしてもらえたけれど、翌日からの通勤のことを思うともう歩くしかないと覚悟をしました。
7日も降りやまない雪を見ながら、一路会社へ。普通に歩くのだと30分ほどで着きますが、車の列をぬっての雪道では思うように歩けず、やはり1時間近くかかりましたね。
電話応対、出荷ができない状況説明、雪かきしようにも積もりすぎてとても人力では手におえない苛立ち。配達のワゴン車の1台も掘り出せないので、歩くしか他ないなんてことが起きるとは思いもよりませんでした。そしてこれが翌日のトラブルにつながってしまうのです。
8日朝、ダウンコートにカッパズボンに完全防水の長靴と毛糸の帽子をかぶって、昨日と同じように歩いて会社へ向かいました。昨日と違っていたのは傘。雪の降りが昨日よりも激しく、帽子だけでは髪まで濡れてしまうようだったので、傘をさして歩いていたのです。
昨日と同じ道なのに、除雪車が通った後で雪はカチカチの圧雪に、表面はつるつる滑るのにその上に柔らかい新雪が積もって道の状態が分からなくなっていました。こういう道は本当に怖いんです。
一歩一歩足を置くように歩いていましたが、傘でバランスが崩れたのか思いがけず両足で滑ってしまいました。体を支えたのは左手だけ。手をついた瞬間「アッ!これやってしまったな!」と思いました。手首が動きません。しばらくすると指が腫れてきました。
とにかく会社に行かないと始まらないと、左手を支えながら歩き続け10分ぐらいで会社到着。痛みがひどくなってきていました。でも、会社に着いても車は埋もれたまま、近くのタクシー会社に聞いても、車はあるけれど運転手がいない、だれも来ていないとのこと。
いつも診てもらっている整形外科に電話をしてみたら、両院とも「本日は休診日です」。そうだった木曜日はお休みのお医者さんが多いんだと気がつき、もう選択肢は救急車しかないとなりました。電話をして待つこと30分、会社から県立病院まで20分ほどかかりましたが、救急で診てもらえることに。有難かったです。間違いなく「左手首骨折」でしたが、先生から頭を打たなくてよかったねと一言いただきました。基幹病院としてはたくさんの怪我人が来た日だったようですよ。
腕に添え木をするのも三角巾で腕をつるのも生まれて初めてのこと。1週間後に手術をすることになり、それからは娘に手助けしてもらいながら日を送りました。まあそうは言っても、仕事は放っておけないし、日々の生活は休むわけにいかないので、右手と口でいろいろやっていましたよ。
私がけがをした後、会長、社長、社員の男衆3人で軽ワゴンを1台掘り出して、配達に出られるようにして、それまで行けなかったところの配達を済ませたよう。私は家に帰って、主人に連絡を取りながら帰りを待っていました。夜10時ごろにようやく帰ってきて、金沢まで配達してきたといいます。佐川便もヤマト便も全く動かず、それでもそば粉のご注文はいただくので、北陸自動車道が開通したこともあり、金沢市内だけ回ってきたと。この怪我を本当に申し訳ないと思いました。
不注意ではないのだけど、年をとるということはこういうことなんだと自覚しました。リハビリも続けています。左の中指と薬指が上手く曲がりません。握力も弱いです。重いものも持てません。不都合を持ちながら仕事をしています。少しだけそれをカバーしてくれる人がいればと思いましたが、結局こういった人間は必要ないのだとわかってきました。
そろそろ引退を決めないといけない時でしょう。「老兵は去るのみ」いまわが社にいるスタッフはみなそう思っていると思います。年寄りががんばっていていい時代ではなくなっているとひしひしと感じます。30代の中に60代が二人だけいる訳ですが、たぶん皆が私達夫婦をどう扱うか考えあぐねているのでしょう。引き際を決めなくては。
長々とお付き合いいただきましてありがとうございました。
今回でこのブログも終わりにしようと思います。
何の知識もなく、ただ40数年この商売を担いできただけのおばさんです。
ご迷惑もおかけしたと思いますが、お許しくださいませ。
今後は若い世代で会社を運営していきます。
若さは溢れていますが、経験というところではまだ未熟な者たちです。何分よろしくお引き立ていただきますよう心からお願い申し上げまして、最後のご挨拶とさせていただきます。
本当にありがとうございました。