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あの時僕は、若かった。

あの頃の、蕎麦の想い出といえば、私がまだ小学生の低学年時分。 それまで蕎麦という食べ物を知らないでいた頃だと思う。

ある日の午後、学校から帰ると、台所から何やらトントンと音がするので覗いてみると、
飯台で母が、枡に使うすりこ木みたいな麺棒の短いもので、一生懸命何かを延ばしている。
聞くと、親戚で頂いたそば粉だと言う。なんだか色の黒い、それこそ図工で使う粘土を連想させるような物体を、短い麺棒で、ごし ごしと力まかせに延ばしている。
母が「今夜は、これが夕飯になるんや。」そして、「母ちゃんは、あんまりそばが好きでないで、
今まで料理に出したことなかったけど、今日は、親の家から折角頂いた物やで、いっぺん やってみたんや。」と、
ぶつぶつ言いながら、そばを打っていた。
私は、初めて視るそば粉に、好物であるきな粉とは、ちょっと違うなあ・・・?ぐらいにしか感じなかった様に思う。
母が打つ、初めての蕎麦打ちの様子と、初体験の蕎麦の味。かけそばじゃなく、もちろんざるそばなんて気の聞いたものでもない。味噌汁と一緒に煮込んだような水団みたいな蕎麦だったように憶えている。
子供ながらに、なるほど母の言うように蕎麦ってたいして旨いものでもないんだな。と、この時学習した。
その後、長兄が結婚し、兄嫁が我が家の食卓を、担当するようになり、我が家の食卓は、新鮮なものになっていった。
確か兄嫁が、我が家に嫁いで最初の大晦日の時だったと思う。年越し蕎麦を食べる習慣がなかった我が家に、「今晩、おろしそばつくるでの。」と 朝から張り切っていた。
そばは、近所の八百屋で買ってきた茹で麺ではありましたが、手際の良い所作で、瞬くうちに、食卓の上に所狭しと並べられた麺皿の数々。それに、大根おろしの入った蕎麦汁を、たっぷりかけ 葱や花かつおを乗せ口の中へかき込む。
なんだか兄嫁の顔が、照れくさいほど眩しかった!!。 なんとこれが、「そば」か!
小学生だった私には、感動の一瞬だった。
母の作る日々の手料理は、多少の好き嫌いはあったものの、大抵は喜んで頂いた。がしかし、母が苦手だったものまで、自分も同じように苦手意識が働いていたことに、この時ばかりは、恨めしかった。
あれから、半世紀。 毎年暮れになると、首を永くして、当社の挽きたてのそば粉を、待つ義姉の姿がある。
やっぱりそば粉は、カガセイフン。通販も大丈夫!